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「真実を語る」ことについての東西の導師たちの御教示をまとめてみました

 

 

《真理はあなたたちを自由にする》ヨハネの福音書

 

古今東西、霊脈は様々ですが、その修行には共通点もあるように見えます。今回は「真実を語る」ことに関する教えについて私が学んできたものをまとめてみたいと思います。

「真実を語る」ということは、事実・現実・真理に即して語るということであり、それは、嘘をつかない、偽らない、騙さない、事実と違うことを言わない、という意味を含んでいると思います。

 

大聖ラーマクリシュナの御教示

 

ラーマクリシュナは次のように語られました。

 

真実を語る。嘘は言わない。これが現代の修行だ。

現代はこの修行をするのがとても難しい。

だが、正直・誠実を続けていれば、きっと至誠(かみ)に到達できる。

 

真実を語るということは、細かいところまで注意しなければならない。

真理によって、人は神を悟ることができる。

 

仏教における御教示《嘘をつく人に、犯せない罪はない》

 

十善戒における「真実を語ること」

仏教には十善戒という十個の悪しき行いへの戒めがありますが、そのうち4つが言葉の行いに関するものです。具体的には次の4つです。

●不妄語:嘘、偽り、真実でないことを言わない

●不綺語:意味のないことを言わない、無駄なおしゃべりをしない

●不悪口:他人の悪口を言わない

●不両舌:他人を仲違いさせることを言わない

 

八正道の「正語」

釈尊が説かれた教えに八正道があります。そのひとつに「正語」があります。これは「正しい言葉を語ること」です。正しくない言葉とは上述した4つの言葉の行いです。

釈尊は口の中には諸刃の斧があると説かれました。そして悪しき言葉を語るものはその斧で自分自身を傷つけているのだと。

自分を苦しめず、他人を害しない言葉のみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばである。

 

また、釈尊は言葉を語る時の6つのガイドラインとなるダルマを説き示されました。

 

1、耳触りが悪く、事実でもない。聴く人の役に立たない言葉は語らない

2、耳触りは良いが、事実ではない。聴く人の役に立たない言葉は語らない

3、耳触りが悪いが、事実である。しかし相手の役に立たないならば語らない

4、耳触りが良く、事実である。しかし相手の役に立たないならば語らない

5、耳触りが悪いが、事実である。そして聴いた相手の役に立つ。そのような言葉を時と場合を見計らって語る

6、耳触りが良く、事実である。そして聴く相手の役に立つ。そのような言葉を時と場合を見計らって語る

 

ツォンカパの「菩提道次第論」より

この著作のなかでツォンカパ大師は次のように説かれています。

彼(有情)に対して命のため、またはたとえ笑いのためにも、知りながら偽りを語ること(妄語)を捨てるのです。

これは起こした菩提心を他生においても離れない原因のひとつであるということです。

 

サティア・サイババの御教示

 

「真実を語ること」に関するサイババの教えをいくつか引用します。

 

火は燃えるものであり、氷は冷たいものです。

花は咲けば香りを放つものであり、砂糖は甘いものです。

それと同じように、人間にとっては真実を生きることが自然なのです。

 

真実がダルマを支えています。自分自身の内なる真実に気づき、真実こそが重要な徳性であることに気がつけば、自分自身のほんとうの姿を知ることができるでしょう。

 

基本となる一歩は、真実です。

嘘さえ言わなければそれで真実ということにはなりません。

真実をみなさんの核心に、人生のよりどころにするのです。

真実のために、すべてを捨てる心がまえでいてください。

世の中は、真実を畏れ、いつも真実のあとをついて進んでいます。

真実がなければ、ただ生きていくことさえ心配しなければなりません。

真実は、人々の恐怖を取り除きます。

世界のすべてを守り、動かしているもの、恐怖をはらうものが、真実です。

その人が真実さえたしかに守っていれば神に達することができる。ーー真実とは、それくらい大切な徳性です。

 

子供というのは、わかってやっていることも、知らないでやっていることも含めて、いろいろと小さなあやまちをおかしがちなものです。大人に知られて、叱られるのを怖れて、そのあやまちを隠そうとすることがあります。そうやって、ごく幼いうちから嘘を言う習慣が身についてしまうのです。

この習慣はいずれ人生の基礎を崩してしまいます。いつわりは、その人のよさをだいなしにしてしまうのです。

ですから、、いつも、どんなことがあっても、何も恐れることなく、結果にとらわれることなくーーそのために楽しいことになっても、非難されることになってもーーいつも真実だけを話すように心に誓うべきです。

大きな家を建てるのに基礎が大事であるように、木は根が支えているように、真実は人生の根本なのです。

 

ルドルフ・シュタイナーの御教示

 

シュタイナーは霊的な認識にもとづいて、真実を語ること、嘘をつくことが、それぞれどのような霊的結果を引き起こすかについて開示されました。

 

真実を語るか、嘘をつくかでアストラル界に生じる現象には大きな差異があります。思考は何らかの事象に関連し、その事象と一致することによって真実のものとなります。

どこかで何らかの出来事が生じると、この出来事から高次の世界に一つの作用が及びます。誰かがこの出来事をありのままに語りますと、その出来事自体から発する形象に一致するアストラル的な形象が語り手から輝き出、この二つの形象は互いに強め合います。強められた形象は霊界をより有機的に、内実豊かなものにします。このことが人類の進化にとっては必要なのです。

出来事に一致しない虚偽を語りますと、語り手から発した思考の形象は事実から発した形象と反発しあい、相互的な破壊作用が生じます。虚言から生じるこの爆発のような破壊作用は、あたかも潰瘍のごとく、有機体を破壊してしまいます。虚言はすでに発生したアストラル的な形象、これから発生すべき形象を殺し、人類の進化を阻止するのです。

実際、真実を語る者は人類の進化に奉仕し、虚偽を語る者は進化を妨げています。

それゆえ、霊的に見れば虚言は殺人行為であるという神秘学的法則が存します。虚言はアストラル的な形象を殺すだけでなく、自殺行為でもあります。嘘をつく者は自分の人生を疎外することになるのです。

霊界のいたるところにこのような作用が見られます。霊視者は人間が考え、感じたことがアストラル界に影響を及ぼすのを見ます。

 

このように真実を語ることと嘘を語ることにおける、霊的な真理を明らかにされています。

では、どのように語るべきかということについては、次のように説かれています。

 

意味ある内容だけが神秘修行者の唇から流れてこなければならない。おしゃべりのためのおしゃべりは彼を修行の道から引き離す。思いつきで種々さまざまの話題を思い思いに語り合う通常の会話を神秘修行者は避けなければならない。

とはいえ決して周囲の人とのつき合いを断つべきではない。人との交わりの中でこそ、自分の発言を意味あるものにしていかねばならない。どんな人とも語りあう。

しかしその時には、すべての点において熟慮した上で発言する。決して根拠なしに語ったりしない。言葉が多すぎもせず、少なすぎもしないように語ろうと試みる。

 

以上、「真実を語る」ことについての東西の導師たちの御教示をまとめてみました。