ヒンドゥー教

【入門編】ラーマクリシュナの福音 │ ラーマクリシュナの生涯・言葉・書籍などをまとめました

この記事は、近代インドの大覚者であるシュリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサについて簡単にまとめたものになります。ラーマクリシュナに関心をもたれた方は、是非、記事内で紹介している書籍を手に取ってみてください。

ラーマクリシュナとは誰か

三大覚者のひとりとして

シュリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサは、インドが生んだ三大覚者のひとりと呼ばれています。

三大覚者の一人目は仏教の開祖である釈迦牟尼仏、二人目はヒンドゥー教の大聖者であるシャンカラチャリヤ、そして三人目がラーマクリシュナです。釈迦牟尼仏が紀元前4~7世紀頃、シャンカラチャリヤは8世紀頃、それに比して、ラーマクリシュナは1836年-1896年という近代に誕生された方です。

それ故、ラーマクリシュナについては生涯の出来事の記録、また、弟子や信者への具体的な教えの内容、そして、写真までもが残されています。大覚者の事跡がこのようなかたちで残されているというのは非常に稀なことであると思います。

現代に生きる私たちは、彼の生涯や言葉に直に触れることができ、自らの目と頭で考え、理解し、受け入れることができます。これはキリストやブッダと同時代に生きていなければ得ることが難しかった恩恵を受けることができる可能性があるということです。

簡単なスケッチ

まずはラーマクリシュナについて簡単なスケッチを箇条書きしてみたいと思います。

● カーリー女神への強烈な信愛によって霊的な覚醒へと導かれた

● 霊的自覚の最高境地に到達した

● サハジャ・ニルビカルパ・サマーディを実現した

● 神を見、神と語り、神と合一し、神性を完全に体現した

● キリスト教やイスラム教の道を通っても同じ霊的境地にたどり着くことを証明した

● 普遍的真理のもとにおける諸宗教や学派の調和を説いた

● 受肉したキリストのように人類を救済するために地上に降りてきた神の化身と見られている

 

ラーマクリシュナの生涯

ラーマクリシュナの生涯の出来事を、時系列で非常にシンプルに記してみます。

(1)1836年、インドのコルカタ近郊のカーマルプクル村のバラモンの子供として生まれる

(2)6歳のときに不意にサマーディ(神聖な神秘的体験)に没入する経験をする

(3)16歳のときにダクシネシュワルというカーリー女神の寺院の手伝いをすることになる

(4)カーリー女神への熱烈な信仰(バクティ)によって、カーリー女神を実在として見ることができるようになり直接会話をするようになる

(5)サーラダー・デーヴィと結婚する

(6)ヨーゲシュワリという女性行者の指導でタントラの行法をマスターする

(7)トータ・プリーという男性行者の指導で出家の誓いを立て、究極的実在を悟り、無分別三昧というサマーディに没入する

(8)ラーマクリシュナの教えを聞くために人々があつまり始める

(9)のちのヴィヴェーカーナンダとなるナレンドラなどの主要な弟子たちがあつまってくる

(10)1886年、喉頭癌で逝去する

(11)死後、ヴィヴェーカーナンダがラーマクリシュナ・ミッションを設立する

(12)弟子と信者たちの活動を通して、世界中に僧団の活動とラーマクリシュナの教えが広がる

 

ラーマクリシュナ・マト&ミッション

ラーマクリシュナは死ぬ前に16名の直弟子たちに出家の袈裟を授け、一番弟子であるスワミ・ヴィヴェーカーナンダのもとで修行に励み、人類のために神聖なる働きをするようにと力づけを与えられました。

彼の死後、スワミ・ヴィヴェーカーナンダを中心としてラーマクリシュナ僧団が設立されました。さらに彼はベルル・マトという僧院を建立し、僧団と奉仕団の基礎をつくられました。

ラーマクリシュナの奉仕団は在家や出家の弟子たちから構成されており、現在でもインド各地で災害被害などがあれば積極的に奉仕に駆けつけており、また、教育や医療の分野においても社会に多大な貢献をされている団体です。

 

ラーマクリシュナの言葉 Part.1

 

「同一のゴールに到達するために、じつにたくさんの道がある。・・・私はヒンドゥイズム、イスラム、キリスト教、そしてヒンドゥイズムのなかではまたさまざまの宗派の修行を実践した。それで私は、道こそちがえ、それらすべてがめざしているのは同一の神であるということを知ったのである」

 

「池のふちには何ヶ所かに階段がついている。ヒンドゥはそのなかの一ヶ所で水を汲んでジャルと呼び、回教徒はもう一つの階段でパーニと呼び、キリスト教徒は第三の階段で汲んでウォーターと呼ぶ。名前は違うが物は同一である。またみなは同じものを求めているのだ。世界の各宗教はこの階段の一つひとつのようなものである。どの階段でもよい、真剣に熱心に進んで行け。不滅の至福という水を汲むことができるだろう。ただし、自分の階段は他の階段より良い、などと言ってはいけない」

 

「神のみが実在、他はすべて幻である」

 

「人は、神に達したあとでもこの世に生活することができる。そのときには無執着の生活を送ることができるのだ」

 

「実在と非実在とを識別することだ。つねに、神のみが実在するのであって、この世界は非実在である、ということを識別しなければいけない。そして、心からのあこがれをもって祈るのだ」

 

「神をさとった者の態度をお前知っているか。彼は、『私は機械、そしてあなたは、おお主よ、運転者です。私は家、あなたは住人です。私は馬車、あなたは御者です。私はあなたがお動かしになるとおりに動きます。あなたが話させになるとおりに話します』と感じるのだ」

 

 

ラーマクリシュナに関する書籍

ラーマクリシュナを知り、学ぶために必携の書籍を紹介いたします。

インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯

こちらはラーマクリシュナの生涯や教えをまとめた入門的な書籍です。

 

ラーマクリシュナの福音

ラーマクリシュナ・ミッションの日本支部でもある、日本ヴェーダーンタ協会(神奈川県逗子市)が発行している書籍です。

ラーマクリシュナの在家の弟子であったマヘンドラナート・グプタ(通称M)が記しました。この書籍には偉大なる聖者の日常と深遠な教えが平易な言葉で記されています。いま目の前にラーマクリシュナがいらっしゃるかのような描写で読む人を引き込んでいきます。

 

大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉(コタムリト)

田中嫺玉さんがベンガル語から直接翻訳されたラーマクリシュナの福音です。こちらは翻訳の素晴らしさに定評があります。

 

ラーマクリシュナの言葉 Part.2

 

「世俗の快楽を欲しているあいだは、人は活動をやめることはできない。快楽への願望を心に抱いているかぎり、人は活動をするものだ」

 

「しかしこの世に何の楽しいことなどがあるものか。『女と金』(色欲と金銭欲)だって? それは瞬間的な楽しみにすぎない。一瞬間は存在する。そしてつぎの瞬間には消えていくのだ。この世は、大雨を降らせている雨空のようなものだ。太陽の顔はまれにしか見られない。この世にはおおかた苦しみばかりがある。『女と金』という雲のために、人は太陽を見ることができない」

 

「もし神をさとろうと思うなら、強い離欲の心を育てなければならない。道の妨げになっていると思われるものをただちに放棄しなければならない。それをあとにのばしてはいけない。『女と金』が障害だ。心をそれらから離して、内部に引っ込めなければならない。ぐずぐるしていたり怠けたりなどしてはいけない」

 

「『女と金』だけが世界だ。この二つが、人に神を忘れさせるのだ」

 

「心と知性とは、『女と金』への執着から解放された瞬間に純粋になる。純粋な心と純粋な知性は同一のものだ。古代の賢者や預言者たちが神を見なかったと言うのかね。彼らは、彼らの内なる意識によって普遍の意識をさとったのだ」

 

「世俗的な人びとは、人はなぜ『女と金』への執着をすてることができないのかと問う。その執着は、神をさとれば消滅するのだ」

 

 

ラーマクリシュナに関する動画

Sri Ramakrishna Aratrikam

こちらはラーマクリシュナ僧団の根本寺院であるベルル・マトにおける礼拝の様子をおさめたものです。

 

BELUR MATH | The heart of Ramakrishna Movement : A Documentary on Belur Math

こちらはベルル・マトの紹介のドキュメンタリー動画です。ナレーションは英語ですが、英語がわからなくてもベルル・マトの雰囲気を感じることができると思います。

 

Sri Ramakrishna Sharanam

数あるラーマクリシュナの讃歌のひとつです。

 

ラーマクリシュナの言葉 Part.3

 

「渇仰の心で神に祈りなさい。識別力をお与えください、と神にお願いしなさい。『神のみ実在、他のすべては幻影』ーーこれが識別だ」

 

「お前は霊的に進歩するだろう。人が神について話すと、人々は彼を信用しない。たとえ偉大な魂が自分は神を見たと保証しても、一般の人間はその言葉を認めないのだ。彼はそっと考える、『もしこの男がほんとうに神を見たと言うなら、私にも見せてくれたらよいではないか』しかし、一日で人の脈がとれるようになるものかね? そうなるには、何日も何日も医者について歩き回らなければならない。そうしてはじめて、いろいろな脈を見分けることができるようになるのだ。脈をしらべることを正式の職業にしている人といっしょに暮らさなければだめだ」

 

「お前が見ているものは全部、神の力の現れだ。この力なしには、誰も何ひとつすることはできないのだ。だが、この力はすべてのものに平等に現れているのではないことは覚えておきなさい」

 

「もし鏡に汚れがついていれば、顔を映すことはできないだろう。人は心が浄くなければ、真の自己をさとることはできない」

 

「お前たちの過去世の行いの結果を刈りとるのに必要なだけ、この世の務めを果たしなさい。だが、神への愛を養い、情熱を持って彼に慕い寄らなければならない。神の御名と栄光をうたえば、過去の行為の結果は破壊されるのだ。お前たちは、死ぬまで義務を行う必要はない。神への純粋な愛と思慕の心を養っているうちに、仕事は段々と少なくなっていく。神をさとった後には完全に脱落してしまう」

 

「サーダナの期間中、私はあらゆる種類の驚くべきヴィジョンを得た。私ははっきりと、アートマンとの交流を感じた。私に生き写しの一人の人物が私の体内に入り、六つの蓮華の一つ一つの交流し始めた。これらの蓮華の花弁はつぼんでいたのだが、霊性の交流を経験すると、うつむいていた花は開いて上向きになった。このようにして、ムラーダーラ、スワーディシュターナ、アナーハタ、ヴィシュッダ、アージュニヤーおよびサハスラーラというもろもろの中心にある蓮華は開いていった。うつむいていた花は上を向いていった。私はこれらすべてを目のあたりに見たのだ」

 

 

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「それだからね、少し霊の修行をしなさい。そうすれば、粗大な体も幽体も原因体も、そして大原因も、これらすべてのことが分かるだろう。神に祈るときには、彼の蓮華の御足を愛することができますように、ということだけをお願いしなさい」

 

「お前が在家の生活を送ることは少しもさし支えはない。しかし、心に神蓮華の御足を思いつづけながら、無私の精神で自分の務めを果たしなさい」

 

「要するに、弟子づくりに奔走しているような連中はごく程度が低いのだ。ガンガーを歩いて渡ったり遠い国で誰かが話すことを言いあてたりするような通力を欲しがる連中も、やはり同様だ。このような人びとにとっては、神への純粋な愛を持つことはたいそうむずかしい」

 

「足の裏にトゲが刺さったら、トゲをもう一本持ってこなければなるまい。そしてそのトゲで最初のトゲを抜く。それからトゲは二本とも投げすてるだろう。これと同じように、知識というトゲの助けによって無知というトゲを抜いたら、トゲは両方ともすててしまわなければいけないのだ」

 

「人は、威厳と、鋭敏さとをそなえていなければならない。霊意識のめざめている人だけがこの威厳と鋭敏さとをそなえており、したがって人間と呼ばれることができるのだ。霊意識のめざめがなければ人間と生まれても無駄だ」

 

「ここにくる若者たちは、二つのことを知りさえすれば十分なのだ。この二つのことを知れば、彼らはあまり多くの修行や苦行をしないですむだろう。その第一は、私は何者であるかということ。第二は、彼らは何者であるかということだ。若者たちのなかの多くのものが、この内輪に属しているのだ。内輪に属する者たちは、解放はされないだろう。私は北西の方向で、また人間の肉体をとらなければなるまい」

 

 

もう少し深く知るための書籍

ラーマクリシュナの生涯

こちらはアマゾンよりも日本ヴェーダーンタ協会で購入するほうが安く購入できます。

 

真実の愛と勇気 (―ラーマクリシュナの弟子たちの足跡―)

この書籍はラーマクリシュナの内輪の弟子たちが、どのような足跡を辿ったのかが克明に記されています。

 

ラーマクリシュナの言葉 Part.5

 

「私は人びとに、霊意識がめざめてからこの世で生活せよとすすめているのだ。たいそう骨を折ってでも、黄金を抽出してしまえば、それは地の下にでも箱の中にでも、あるいは水の中にでもしまっておくことができるだろう。金は腐食することがないからだ」

 

「私は人びとに、無執着の精神でこの世に生活せよ、とすすめている。手に油をすり込んでからジャックフルーツを割れば、そのネバネバした果汁で手を汚されるようなことはないだろう。『未熟』な心が世間で暮らすとその心は汚れる。人はまず知識を得て、それから世間で暮らすべきなのだ」

 

「もし人が、肉体とこの世界は非実在であることをほんとうにさとったら、そのとき彼の魂はサマーディに入るのだ」

 

「サマーディのなかで人は神と一つになる。するとその人は自己中心的な意識は持てなくなるのだ」

 

「人が世間に暮らしていては神をさとることができない、などということはありはしない。ただ識別と離欲が必要だ。神だけが実在だ、他のすべてのものは非実在である」

 

「知識を持てば、もう神を離れたところに見ない。もう、『彼』とは思わない。彼は『これ』になる。そのとき、彼は自分のハートのなかに見える。神はあらゆる人のなかに宿っておいでだ。神を求める人は神をさとるのだ」

 

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